スケッチセキララ日記

大好きなペンスケッチのことを中心に、日常をセキララに綴ってます。

『池田晶子の言葉と出会う』永沢まことトークショー

2017
26
B Garrely で開催された、
『池田晶子の言葉と出会う』永沢まことトークショーに参加してきました。
(詳細はコチラ↓)
http://www.beams.co.jp/news/248/

師匠の相変わらず深い話を堪能いたしました。

一番印象に残った言葉:
『人生で、いいことは、大抵偶然起こる。』

自分のペースを保つこと。自分の考え、哲学を保っていると、自然にキャッチできるようになる。
それができないと、どんなにいい言葉、いい出逢いがあったとしても、吸収できない。

ちょうど最近、“受信力”って大事だなあ、としみじみ実感していた時期でしたので、
心に沁み渡りました。

写真等がNGでしたのであいにく画像はありませんが、
「2001年哲学の旅」の原画を何点か拝見できたのには感激!
こんなに大きかったんだーと、意外な一面も。
関連記事
スポンサーサイト

2 Comments

ミーコ  

ミーコと申します。
>自分の考え、哲学をたもっている

お伺いしたいのですが
①2500年前の古代ギリシャの哲学者プラトンのイデア論「国家」編に
プラトンは芸術を厳しく批判しています。
 視覚で捉えることができる美は不完全なものであり、完全な三角形や完全な円や球そのものは常住不変のイデアである。
芸術はイデアの模倣にすぎない現実の事物をさらに模倣するもの、
さらには事物の模倣にすぎないものに人の関心を向けさせるものである、として芸術に低い評価を下しています。

まき先生は絵画にかかわる立場として、その絵画(芸術)と哲学との関係をどのように解釈、克服されていますか?
私見としては、そのプラトンの芸術否定論との葛藤、闘い、模索だったら尊敬します。

②私は芸術が理解できない者として、いつも不思議、疑問に思うことがあります。
それは裸、ヌード画です。
 よくクロッキーと称して裸の男性、女性が静止、ムービングなどされてますが
わたしたちの日常には裸の人たちはいませんし、また裸体は文明上の自然な姿ではありません。
新宿の街を裸で歩く人はいません。
それなのに裸を描くのが芸術といえる根拠はどこにあるのですか?

 ③まったく素人の目から見て、風景画でも人物画でも
写真を丸写ししたような絵のほうが上手だと思ってしまいます。
絵画の価値が写真の絵から遠ざかれば遠ざかる程、評価、価値が高くなる意味がわかりません。
まるで何かの暗示にかかった信仰のように思えます。

 最後に私の不躾で失礼な質問をお許しください。

2017/04/06 (Thu) 01:37 | EDIT | REPLY |   

maki  

ミーコさん:

はじめまして。
ちなみに私は哲学も美術も専門的に学んだことはありません。

どんな分野でも、
批判や賞賛、
いろんな意見があってよいと思います。
むしろ捉え方や感じ方、違って当たり前ではないでしょうか。

ヌード画にしろ、写実から離れた絵にしろ、
ミーコさんはミーコさんの感じるままでよいのでは。

プロの専門家や評論家だって、意見が違う場合もありますし、
「あのお偉い方がこうおっしゃっているのだから、やはり…」
と、ただ素人だからという理由で、納得のいかないまま、
自分の考えを変える必要もないと思いますし、
変わる自由もあると思ってます。

2017/04/06 (Thu) 14:55 | EDIT | REPLY |   

Add your comment